「ねずみってどんな内容の話だろう?」、「登場人物の腕利きの大工って誰だろう?」と思っていませんか?
YouTubeなどで、落語家の方の噺も聞くことができますが、少し長めのお話なので、簡単に内容を知りたいという方もいるのではないでしょうか。
この記事では、落語「ねずみ」のあらすじやオチ、主な登場人物について紹介します。
落語「ねずみ」とは?
落語「ねずみ」は、伝説的な彫刻師の左甚五郎(ひだり じんごろう)という人物が登場する「甚五郎もの」と呼ばれる演目の一つです。
甚五郎が奥州仙台を旅していたところ、子供の客引きに合い、「ねずみ屋」という小さく貧しい宿に泊まります。
話を聞いてみると、そこの主人はもともと向かいにある大きな宿屋を営んでいたのですが、番頭たちに店を乗っ取られ、追い出されてしまったとのことです。
その話を聞いた甚五郎は、自分の腕を活かし、ねずみの彫刻を作ります。
その彫刻を店の前に置いたところ、店が人気になり、お客が集まってくるという話です。
この後のオチも、皮肉が効いているのと、可愛らしいという理由で、個人的にも好きなオチです。
主な登場人物
それでは、落語「ねずみ」の主な登場人物を紹介していきます。
左甚五郎(ひだりじんごろう)
大工の中でも日本一と言われている彫刻師。
奥州を旅している途中に子供の客引きに合い、紹介された宿屋に泊まります。
今回紹介する「ねずみ」のように、落語では弱者を救済するような話が多いキャラクターです。
左甚五郎って誰?
左甚五郎は、江戸時代の初期に活躍したと言われる大工・彫刻師です。
逸話や伝承が多く、実在したかどうかについては否定的な意見もあります。
しかし、江戸時代後期の「近世奇跡考」という書物には、寛永11年に41歳で亡くなったという記述があるなど、実在の人物として取り扱っている文献も残っています。
左甚五郎が作ったとされる作品は日本中にあり、特に日光東照宮の眠り猫は、甚五郎の代表作として伝えられています。
ねずみ屋の主人
ねずみ屋の主人。
名前は、卯兵衛といいます。
もともとは、「虎屋」という大きな宿屋を営んでいましたが、番頭などに店を乗っ取られてしまい、小さな宿屋の「ねずみ屋」を経営しています。
卯之吉(うのきち)
卯兵衛の息子で、店の客引きなどを手伝っています。
落語「ねずみ」のあらすじ
それでは、落語「ねずみ」のあらすじを紹介します。
甚五郎が卯之吉のところに泊まることになる
左甚五郎という男が、奥州仙台のあたりを旅をしていたところ、とある子供に声をかけられます。
おじさんは、旅の人ですか?
あぁ、そうだよ。
仙台にお泊まりになるつもりなら、できたらウチに泊まってくれませんか?
坊やは客引きかい?
これも何かの縁だ。今日は、坊やのところでお世話になろう。
このような形で、甚五郎は、卯之吉のところに泊めてもらうことになりました。
しかし、卯之吉の話を聞くと、泊まるところは、狭いし汚い場所とのことでした。
また、布団もなく、寝るためには布団を借りなければいけないとのこと。
甚五郎は、快く布団代の20文を卯乃吉に渡し、卯乃吉は布団を借り行きました。
甚五郎が宿に到着する
甚五郎は、卯之吉から「この街道をまっすぐ行き、大きな虎屋という宿屋がある。その向かいにあるねずみ屋というのが自分の家だ」と教えてもらっていました。
卯之吉と別れた甚五郎は、その場所へと向かいます。
甚五郎がその場所に到着すると、そこには立派な建物の虎屋と、その向かいに小さく粗末な建物のねずみ屋がありました。
ごめんください。
これはどうもいらっしゃいませ。
すぐに足を洗う用意をしたいんですが、腰が抜けてて立てませんので、裏の川で洗ってきてはいただけませんか?
話のわかる大人が腰が抜けてるってのかい?
まぁ、構わないよ。
川で足を洗う方が気持ちがよさそうだしな。
そうこうしていると、卯之吉が帰ってきます。
そして、夕飯も宿で準備するのではなく、出前をとるとのことです。
卯之吉が、「自分もお寿司を食べたい」と言うので、自分の寿司だけでなく卯之吉と主人の分の寿司も出前を取らせることにしました。
また、甚五郎は、ついでにお酒を買ってくるように伝え、卯之吉を買い物に行かせます。
店の主人からいきさつを聞く
店の主人と二人きりになった甚五郎は、気になることを主人に聞き始めます。
大変そうだな。
ここは、女中は雇わないのかい?
実はと言うと…
そう言いながら、店主はねずみ屋を営んでいるいきさつを話し始めました。
聞いてみると、主人はもともと「虎屋」の主人でした。
妻を亡くし、後妻を持ったらどうだと勧められ、女中頭のお紺と再婚。
ある日、宿屋の2階で客同士のケンカがあったので、それを仲裁しようとしたところ、階段から落ちてしまい腰を痛めてしまったそうです。
それから離れに移り、お店のことはお紺と番頭に任せていたのですが、この2人が以前からくっついており、お店を乗っ取られてしまった。ということでした。
今いる場所はもともと友人の生駒屋の物置で、ネズミがたくさんいたため、「ねずみ屋」という名前にしたとのことでした。
ねずみ屋のために彫刻を作った甚五郎
ねずみ屋の主人から、これまでの経緯を聞いた甚五郎。
世の中には酷いやつがいたもんだねぇ。
よし!
お客さんが来るように、私がねずみを1匹彫ってあげるよ。
お客さんは、彫り物をされるんですね。
お名前をお伺いしてもよろしいですか?
左甚五郎といいます。
あの有名な甚五郎先生ですか!?
宿泊していた旅人が、日本一の腕前と言われている彫刻師の左甚五郎ということを知り、ねずみ屋の主人はたいそう驚きました。
甚五郎は、店の主人から木の板をもらい、ノミを使ってコツコツと彫り始めました。
そして、一体の見事なねずみの彫刻ができあがりました。
動くねずみの彫刻で店は大繁盛
ねずみの彫刻が完成しました。
甚五郎は、タライの中に木彫りのねずみを入れ、上に竹網をかぶせます。
そして、「左甚五郎作 この鼠をご覧になりたい方は、ぜひねずみ屋にお泊りください」と書いた貼り紙を店の入り口に貼り、甚五郎は旅立って行きました。
すぐに近所の人たちが、その貼り紙に気づきます。
左甚五郎の木彫りのネズミを見てみたいと思った近所の人たちは、さっそくそれを見せてもらうことにしました。
そして、タライに入っている木彫りのネズミを見せてもらうと、不思議なことにチョロチョロと動き始めました。
「さすがは名人の技だ」と一同は関心します。
動くねずみの彫刻の噂はすぐに広まり、それを一目見ようと、ねずみ屋には多くの宿泊客が訪れます。
ねずみ屋は大繁盛し、裏の空き地に建て増しをしたり、使用人を雇ったりするまでになりました。
ねずみ屋に対抗し、虎の彫刻を作る虎屋
大繁盛のねずみ屋ですが、それに反し、虎屋の人気や評判はだんだんと落ちていき、客足は遠のいていきます。
それを面白く思わなかったのが、今の虎屋の店主の牛蔵(元番頭)です。
牛蔵は、飯田丹下(いいだたんげ)という名匠に、虎の彫刻を作るよう依頼をしました。
この飯田丹下という人物は、仙台藩伊達家のお抱え彫刻師です。
飯田丹下は、甚五郎と三代将軍家光公の前で彫刻の腕を競い合ったのですが、その時は甚五郎の方に軍配が上がったという曰く付きの相手です。
飯田丹下も「甚五郎であれば、相手にとって不足なし」と、この依頼を引き受けました。
そして完成された虎の彫刻は、虎屋の2階の手摺りに設置しました。
虎に睨まれ、動かなくなってしまうねずみ
虎屋の2階に設置された虎は、向かいのねずみ屋の方をギロっと睨みを効かしているようです。
なんと、その虎が置かれてしまった途端、ねずみ屋のネズミの彫刻はまったく動かなくなってしまいました。
おとっつぁん、大変だ!
ねずみが動かなくなっちゃった!
牛蔵のやつめ、こんなことまでして!!
ねずみ屋の店主は腹が立って仕方がありません。
余談ではありますが、腹が立ちすぎたあまり、立たなかった腰が立つようにもなりました。
仙台に戻ってくる甚五郎
数字後、江戸にいた甚五郎の元にねずみ屋の店主から手紙が届きます。
状況を知った甚五郎は、二代目の政五郎と一緒に再び仙台にやってきました。
なぁ、政五郎。
お前は、あの虎の像をどう思う?
そう聞くと、一緒に来ていた政五郎は、「あの虎には、魂がこもっていない。目つきだって恨みがこもったような目つきだ。立派な虎には額に王の文字が浮かぶというが、それも感じませんな」と答えます。
甚五郎は、虎屋の彫刻の出来が良いわけではないのに、ねずみが動かなくなったことにますます疑問が湧いてきます。
【オチ】虎を猫と勘違いしていたねずみ
ねずみの彫刻が動かなくなったことを疑問に思った甚五郎は、ねずみに直接話しかけます。
おい、ねずみ。
俺はお前を作る時に魂を込めて作ったんだ。
なんであんな虎が怖いんだ?
そう話かけると、ねずみは首を持ち上げて次のように答えます。
え!?
あれは、虎だったんですか!?
あたしゃ、猫かと思った。
飯田丹下が作った虎を、ねずみは「猫と勘違いしていた」というのです。
甚五郎と飯田丹下の格の違いを見せつけるようなネズミの一言がオチとなり、このお話は終わります。
まとめ
この記事では、落語「ねずみ」のあらすじや登場人物、オチなどについて紹介させてもらいました。
この記事以外にも、落語に関することを記事にしていますので、参考にしてみてください。