「落語に興味はあるけど、いろんな種類の話があって、どの演目から聴いたら良いのかわからない…」と悩んでいる方もいるのではないでしょうか。
この記事では、これから落語を楽しみたいという方に向けて、比較的簡単でわかりやすい定番の演目を紹介しています。
落語初心者でも楽しみやすい演目の選び方
落語を初めて聴く方は、どの演目から聴けばいいのか迷うことも多いですよね。
落語には長い歴史があり、数多くの演目が存在しますが、初心者でも無理なく楽しめる作品を選ぶためのポイントを押さえておくことで、落語の世界にスムーズに入り込むことができます。
この記事で紹介している演目も、次のようなことを意識して演目を選んでみました。
記事の後半で紹介しているので参考にしてみてください。
分かりやすい演目を選ぶ
まず、わかりやすい演目を選ぶことが大切です。
笑いどころがわかりやすいものや、文化的背景などが複雑でないものを選ぶと良いでしょう。
例えば、「寿限無」や「まんじゅうこわい」のように、言葉遊びやオチがわかりやすい作品は、誰でも気軽に楽しむことができます。
時間が短めでテンポの良い演目を選ぶ
落語には、話が長い演目と、短い演目があります。
まずは、テンポが良く、比較的短めの演目を選ぶと飽きずに最後まで楽しむことができます。
「時そば」などはその代表的な演目で、シンプルな設定と軽快なやり取りが魅力です。
人情噺よりも滑稽噺から始める
落語には「人情噺(にんじょうばなし)」と「滑稽噺(こっけいばなし)」というジャンルがあります。
ざっくり説明すると、人情噺は夫婦や親子などの情愛を描いた話で、滑稽噺は笑えるお話です。
落語鑑賞に慣れてくると、人情噺も聞き応えがあり面白いのですが、最初のうちは、少し退屈さを感じる方もいると思います。
そのため、まずは笑いが中心の滑稽噺から聞き始めるのがおすすめです。
気軽に笑えて、落語の楽しさを感じることができます。
古典落語から始める
落語には、昔から伝わる「古典落語」と、現代の噺家が作った「新作落語」があります。
新作落語も魅力的ですが、まずは古典落語から始めることで、落語の基本的なリズムやスタイルに馴染むことができます。
初心者におすすめの演目15選
それでは、落語をこれから楽しみたいという方に向けて、おすすめの演目を紹介していきます。
ここで紹介されている演目の内容は、落語家さんによって、演じ方が違ったり、オチが変わっていたりするので、実際に演じられているものと内容が違うことがあるので、それは念頭に置いておいてください。
また、この記事では、オチも含めてそれぞれの演目について紹介しています。
落語は、話の内容を知って、落語家による演出の仕方を楽しむという側面もあるため、あまりネタバレという概念がないかもしれませんが、オチを知りたくない方は、ここから先は読まないようにしてください。
寿限無(じゅげむ)
「寿限無」は、ある夫婦に子供が生まれた際、縁起の良い名前をつけようとお寺の和尚さんに相談に行くお話です。
そして、和尚さんがいくつか縁起の良い名前を提案してくれるのですが、どれも選びきれない夫はすべての名前をつけることに…。
その結果、子供は「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ…」という非常に長い名前になってしまいます。
名前が長すぎるため、事あるごとにこの長い名前を呼ぶ羽目になる登場人物たちが引き起こすドタバタが、観客を笑わせます。
長い名前を流暢に落語家さんが話すのを見て、「さすがだ!すごい!」と感じる楽しさもあります。
まんじゅうこわい
「まんじゅうこわい」は、ある男が友人たちと集まり、バカ話をしているうちに「何を怖いと思うか」について話し始めるところから始まります。
主人公以外の男たちが、蛇や高いところなどを怖いものとして挙げる中、主人公の男は「自分はまんじゅうが怖くて仕方ない」と言い、ブルブルと震え出します。
友人たちはそのことを面白がり、彼にまんじゅうをたくさん渡します。まんじゅうを目にした男は最初はたいそう怖がっていたものの、一人になった途端、嬉しそうにそのまんじゅうを食べ始めます。
実はまんじゅうは大好物で、「まんじゅうが怖い」というのは、そのように嘘をつけば、そのことを面白がった友人から、まんじゅうを持ってきてもらえると主人公の男が考えたからです。
最後に、「今度は濃いお茶が怖い」と言って締めくくる、ユーモアあふれるオチが魅力の作品です。
時そば(ときそば)
「時そば」の舞台は蕎麦屋で、ある男が蕎麦を注文します。
食べ終わった後にお金を支払う際、男は一文を巧妙にごまかして支払いを行います。
これを見ていた主人公の男が、その技を真似してみようと試みます。
主人公の男は蕎麦屋に行き、見よう見まねで勘定を誤魔化そうとするのですが、上手くいかず、失敗してしまうというオチです。
シンプルな内容なので、初心者でも楽しむことができます。
初天神(はつてんじん)
「初天神」は、お正月の天神様への初詣に、父親が息子を連れて出かけるという話です。
父親は「余計なものは買わない」と息子に言い聞かせますが、息子はあれこれと欲しがり、飴玉や団子などをねだります。
父親は渋々それらを買ってしまいます。
最後に凧を買うのですが、次第に子供よりも自分自身が楽しんで凧上げを始めてしまい、子供に「おとっつぁんを連れてくるんじゃなかった」と言われてしまうというオチの話です。
息子と父親のやり取りがテンポよく進み、日常的な風景の中で繰り広げられる軽妙な会話が、落語の魅力を初心者でも十分に感じられる作品です。
今回紹介している演目の中でも、筆者も大好きなお話です。
猫の皿
古道具屋の男(主人公)が旅の途中で茶屋に立ち寄ります。
そして、そこで見かけた猫が、実はとても高価な骨董品の皿を使ってエサを食べていることに気づきます。
主人公は、その皿をどうにかして手に入れようと考え、茶屋の主人に猫をくれないかと交渉を始めます。
主人公は、交渉で猫を買い取ることに成功し、「猫は、慣れた皿でないとエサを食べないと聞くから、ついでにその皿もくれないか」と茶屋の主人に伝えます。
しかし、茶屋の主人は、その皿は譲れないと言い出します。
「なぜ、その皿を売れないのか」と聞くと、高価な皿であることを、なんと茶屋の主人も知っていたのです。
では、なぜそのような高価なものを、猫の皿にしているのかを主人公が聞くと、「その皿で猫にエサをやると、なぜか時々猫が3両で売れるんです」と言い、茶屋の主人の方が一枚上手だった。というオチで終わるお話です。
巧みなやり取りが面白い一作です。
火焔太鼓(かえんだいこ)
「火焔太鼓」は、商売が全くうまくいかない古道具屋の店主が主人公です。
甚兵衛が仕入れたものは、どれも怪しげなものばかりで、あまり売れません。
そんなある日、主人が古びた太鼓を仕入れますが、埃まみれの古びた太鼓を見て、妻も呆れ顔です。
主人が、小僧に表で太鼓の埃をはらうように言いつけますが、小僧は力任せに太鼓をドンドンと叩きつけながら、埃を落とすので、町中にドンドンという太鼓の音が響き渡ります。
その音を聞きつけた一人の侍がやってくるのですが、甚兵衛は「うるさい」と怒られると思い、謝ります。
しかし、実は怒ってきたのではなく、太鼓の音をお殿様が気に入って、購入するつもりだから、屋敷に持ってこいという話です。
その太鼓は、火焔太鼓(かえんだいこ)という高価なものだったとのことで、なんやかんやあり、300両という高額で売れます。
そのことを帰って妻に伝えると、たいそう驚きます。
そして、「これからは、音のなるものを買おう」という話になり、主人が「次は、半鐘(ジャンジャンと音が鳴る釣り鐘)が良い」と言い出します。
しかし、妻が「半鐘はいけないよ。おジャンになるから(半鐘の音色がジャンのため)」というオチで終わります。
転失気(てんしき)
「転失気(てんしき)」は、知ったかぶりをテーマにした話です。
医者に「転失気はないですか?」と聞かれた和尚さんは、その意味がわかりませんが、その場で知らないとは言い出せずに知ったかぶりをしてやり過ごします。
そして、お寺に帰った和尚さんは、転失気とは何かが気になって仕方がありません。
お寺の小僧に「花屋に行って、転失気を借りてきなさい。なければ、八百屋に行って借りてきなさい」と申しつけます。
そして、小僧は、花屋や八百屋に行くのですが、どちらの主人も知ったかぶりをするため、何がなんだかわからない返答が返ってきます。
なんやかんやで、小僧は直接、お医者さんに直接転失気とは何かを聞くことにします。
その結果、転失気とは「おなら」のことであったことがわかります。
寺に戻った坊主は、和尚のことをからかおうと、「転失気とは、盃(さかずき)のことでした」と嘘を伝えます。
数日後、和尚の家に医者が訪れます。
和尚は、「良い転失気がある(良い盃がある)」と医者に伝えますが、話が噛み合わず、医者から、転失気とはおならであることを教わります。
騙されたことに気づき、怒った和尚が小僧に「こんなことで人を騙して恥ずかしくないのか!」と叱りますが、小僧は、「ええ、屁でもありません」と言って、このお話が終わります。
今回は、このオチを紹介しましたが、オチのレパートリーが多い演目でもあります。
茶の湯
「茶の湯」は、先ほど紹介した転失気と同様に知ったかぶりがテーマの滑稽噺です。
主人公は、根岸に隠居をした男です。
男は、小僧の定吉(さだきち)を伴って、根岸で暮らしていますが、毎日することがなく、退屈をしながら暮らしています。
そんなある日、放置していた茶道具と茶室を使って、茶の湯をすることを思い付きます。
主人公の男は、知ったかぶりをしながら、定吉に買い物などを頼むので、買い集めてきたのは、なんと青きな粉やムクの皮の粉(植物由来の石鹸)といった、茶道とはかけ離れたものでした。
見た目は、それっぽくなったため、大喜びする二人でしたが、それを飲むと二人はお腹を壊してしまいます。
二人は、このような間違った茶の湯を続けますが、しばらくすると周りの人にも披露したくなってきます。
また、見よう見まねで、茶菓子なども作るのですが、それもひどい物で、二人が開催する茶の湯に近隣の人たちが、どんどん巻き込まれていくという話です。
知ったかぶりが招く、ドタバタ劇が面白い作品です。
目黒のさんま
「目黒のさんま」は、ある殿様が目黒で狩りを楽しんでいたところ、お昼時にお腹が空いてしまうところから始まります。
そこで偶然、庶民の食べものである焼きさんまを初めて口にしたお殿様は、その味の虜になってしまいます。
庶民の食べ物にもかかわらず、その美味しさに驚いた殿様は、城に戻って家来にさんまを用意させます。
しかし、家来たちは殿様にふさわしいようにと、骨を抜いたり、油を抜いたりと手間をかけて上品に調理したさんまを出します。
ところが、油を抜かれてしまったさんまはマズく、これを食べた殿様は不満そうな顔をして「このさんまはどこのさんまじゃ?」と問います。
家来が、日本橋の一級品だと答えますが、お殿様はそれを聞き、「日本橋はダメだ。さんまはやっぱり目黒にかぎる」という一言がオチとなるお話です。
目黒に馴染みがないと、オチの意味が分かりにくいと感じる方もいると思うので、オチの意味はこちらの記事で解説しています。
牛ほめ
世間ではバカにされている息子の与太郎(よたろう)。
そんな息子を気にかけている父親は、新築の家を建てたおじのところに、与太郎一人で行かせてみようと考えます。
与太郎に新築祝いの挨拶を教え、それを与太郎がおじに話すことによって、少しは感心して見直してほしいという親心です。
父親は、次のように教えます。
「家を見たら、こう褒めるんだよ。家は総体檜づくり、天井は薩摩の鶉木目(うずらもくめ)、左右の壁は砂ずり、畳は備後の五分縁(ごぶべり)、庭は総体御影石(みかげいし)作りでございますな。と、おじさんのところに行ったら伝えるんだぞ」と。
しかし、教えてやっても、与太郎が覚えられそうにないので、父親は、紙に書いて、祝いの言葉を与太郎に渡します。
そして、与太郎は、おじの家に向かいます。
おじの家に着き、カンニングペーパーを読みながら、祝いの言葉をそこそこ言えた与太郎。
それを見て、おじも少し関心します。
それに加え、台所に節穴があると知っていた父親が、与太郎に次のような言葉を伝えるように教えていました。
「台所の節穴には、秋葉様のお札をお貼りになってはいかがでしょうか?穴が隠れて火の用心になります。」と。
この言葉を与太郎がおじに伝えると、おじはたいそう感心し、お小遣いをくれます。
調子に乗った与太郎は、牛を褒める際、お尻の穴をみて、「ちょっとあの穴が気になるなー。あの穴に秋葉様のお札を貼ってはいかがでしょうか?牛穴が隠れて、屁の用心になります。」
という、オチでこのお話は終わります。
与太郎という人物は、他の演目にも登場するキャラクターであり、常識がなかったり、間が抜けている人物として、演じられます。
間抜けとバカにされていますが、愛嬌があり、落語には欠かせないキャラクターです。
ちりとてちん(酢豆腐)
「ちりとてちん」は、NHKの朝ドラのタイトルにもなったことがあるので、なんとなくこの言葉を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
落語「ちりとてちん」は、とある旦那が、お世話をしてあげても文句しか言わない竹さんという人物に対して、日頃の鬱憤を晴らすため、腐った豆腐を食べさせるというお話です。
ちなみに、上方落語では「ちりとてちん」というタイトルで、江戸落語では「酢豆腐」というタイトルで話され、多くの人に親しまれています。
落語「ちりとてちん」のあらすじは、こちらの記事で紹介しています。
あくび指南
「あくび指南」は、江戸時代後期の頃のお話で、この頃は江戸も平和であり、習い事やお稽古が流行っていました。
ある男が、町内に新しく「あくび指南所」ができたので、行ってみたいと友人を誘います。
誘われた友人は、馬鹿馬鹿しいと相手にしませんが、誘った側の男はやる気満々であり、自分は見学だけすることを条件に渋々ついて行きます。
あくび指南所に着くと、「四季のあくびの中でも一番簡単な、夏のあくびから教えよう」と、先生が主人公の男にあくびの仕方を教えてくれます。
しかし、あくびを教えてもらっている主人公の男は、飲み込みが悪く、夏のあくびが何度やっても上手くできません。
それを見ながら待たされていた友人は、退屈すぎて大きなあくびをしてしまいます。
それを見たあくびの先生に褒めらる。というオチのお話です。
粗忽長屋(そこつながや)
「粗忽長屋(そこつながや)」は、浅草の雷門前が舞台のお話です。
このお話には、二人の粗忽者が登場します。粗忽とは、軽率でそそっかしいという意味のある言葉です。
一人の粗忽者が浅草寺参りに行くと、人だかりができています。
その人だかりを覗いてみると、どうやら人が行き倒れで亡くなっているようでした。
町役人が、死人の知り合いを探していたため、粗忽者が死人の顔を覗いてみると、「こいつは熊五郎だ!」と、同じ長屋に住んでいる兄弟分の熊五郎だと言い出します。
しかし、この粗忽者と熊五郎は、今朝も顔を合わせており、この遺体は昨晩からあるため、熊五郎と遺体は別人だと町役人が伝えますが、「俺が、熊五郎のことを見間違えるはずがねぇ!」と、信じて疑いません。
そして、粗忽者は、「熊五郎は、まだ死んだことに気づいてねぇんだ。今から熊五郎を連れてくる!」と言い出し、話はおかしな方向へ。
そして、長屋に帰った粗忽者は、熊五郎を見つけ「熊五郎、お前は実は、昨日浅草で死んじまってるんだ」と伝え、それをなんとなく信じてしまった熊五郎と二人で、遺体を引き取りに再び浅草に向かいます。
そして、遺体を見た熊五郎は、「うわぁ、俺が死んでやがる。これは間違いなく俺だ」と、亡くなった遺体が自分自身だと熊五郎も信じてしまいます。
状況として、亡くなった熊五郎(だと思い込んでいる)の遺体を、熊五郎自身が引き取るという奇妙な状況に。
そして、遺体を運んでいる途中の熊五郎の一言、「ところで、抱えられている遺体は俺だが、今抱えている俺は、一体誰なんだい?」という言葉で締めくくられ、お話が終わります。
現実には、そんなことありえないだろ!というシュールさが、このお話の魅力です。
お見立て
「お見立て」は、遊郭を舞台にした滑稽噺です。
ちなみに、お見立てとは、遊郭でお客さんが花魁を指名することをいいます。
吉原のとあるお店で、杢兵衛(もくべえ)というお金持ちが、喜瀬川(きせがわ)という花魁を指名します。
しかし、喜瀬川は、杢兵衛のことが嫌いで、見るだけで虫唾が走ってしまうというくらいです。
杢兵衛に指名された喜瀬川でしたが、杢兵衛に会いたくないため、お店で働いている喜助に嘘でごまかして追い返すように指示します。
喜助は、杢兵衛を追い返すためにあれやこれやと嘘を重ねていきます。
しかし、杢兵衛も引き下がらず、最終的に「喜瀬川は死んでしまった」と杢兵衛に伝えるのですが、「墓参りをさせてくれ」と言われ、まだ亡くなってもいない喜瀬川のお墓参りに2人で行くことになってしまいます。
お菊の皿(皿屋敷)
落語「お菊の皿(皿屋敷)」は、怪談話の「皿屋敷」をパロディーにした古典落語です。
皿屋敷は、とある事情で、お殿様に逆恨みをされ、斬り殺されてしまった女性の霊が夜な夜な現れ、井戸でお皿を「1枚…、2枚…」と、数えているという怪談話です。
このお話の主人公は、その女性の霊が、とても美人だということを聞いて、その霊が見たくなり、友人たちとその井戸に霊を見に行くというお話です。
主人公たちは、夜な夜なその井戸に霊を見に行くのですが、そうこうしているうちに、「美人な幽霊がいる」という噂が広まりた、どんどん人が集まってきます。
最終的には、興行になるくらいの規模になるのですが…というお話です。
詳細は、こちらの記事を参考にしてください。
まとめ
今回は、これから落語を楽しみたいと思われている方に向けて、おすすめの演目を15席紹介させていただきました。
最近は、YouTubeなどで落語を見ることができるようにもなりましたが、できればぜひ実際に落語の演芸場に足を運び、落語を楽しんでもらいたいと思います。
落語の楽しみ方や、マナーなどについては、こちらの記事にも載せているので、参考にしてみてください。